自分が合気道の技に行き詰まり、己の非力であることを痛感し悟らされた時、この武道を離れるか、ただ単なる趣味として続けるか、その瀬戸際に立たされたのである。
(中略)
開祖の数多くのお言葉を、訳も分からずに、心で理解するつもりで読み上げたのであるが、そこで感じたことは、開祖のお言葉は、表現は違っていても、その言葉の意味するものは、総て万有愛護の精神であるということであった。
愛とは武道に於いては、敵そのものを無くすることである。無くするための技は、相手と一体になることである。一体になるためには、体力的な力を出して、相手を倒そうとする気持ちを捨てなければならない。相手と結ぶことである。結ぶためには体力的な馬鹿力を抜かなければならない。この結論が出たとき、稽古はその一点に集中して行ったのである。
それから幾年か経ったとき、そこには従来の稽古では全く考えられなかった、愛の技が生まれていたのである。
合気万生道の呼吸力の技がそれである。開祖の説かれる心の世界を求めずして、真の合気道に達することは不可能である。
この霊肉一体の心技こそ、行き詰まれる人類の、指標と言えるのではなかろうか。

-続・合気道の心を求めて-より。

大正12年鹿児島県に生まれる。
十代で合気道創始者植芝盛平翁の内弟子として入門、心身両面の指導を受ける。
昭和29年から熊本市に於いて合気道万生館道場を開設、熊本を中心に九州各地に合気道の普及を図る。昭和36年創始者植芝盛平翁より合気道九段を允可される。昭和44年創始者御逝去を機に組織を離れ、真の合気道の探究に入る。以後万生館合気道として独立、本部を熊本市に置き活動。平成11年名称を合気万生道と改める。翁の遺訓「武産合気」の実践により、独自の合気道論を開眼する。現在では、本部熊本にて毎月一度有段者研修会を開き、自らが手を取り弟子達へ伝授する。又、各支部の演武大会に於いては説明演武として出向き精力的に活動する。