轟理論8

                    平成17年3月20日

             禁  力

たばこを吸う人のことを「愛煙家」というのか解らないが、小中学校などの敷地内では、

禁煙になるらしい。「1日に一箱吸っていた人は、4本までは、吸っても構わない。」

「セブンスターは、駄目だけどメンソールなら構わない。」という例外はないようだ。

合氣道をする人のことを「合氣道家」とは思わない。禁煙とは、1本も吸わないことだろう。

呼吸力は、「体力を頼らない、使ってはいけない。」ことを徹底して確信しないとできないし、

力は抜けないと考えます。体力は駄目ですよ。と言う意味で「禁力」という言葉を考えてみました。

見たことのないものを絵に描くことは難しいと思います。力が抜けた状態を知らないままに、

力を抜く稽古をしているのであれば、力を抜くことは、難しいでしょう。さらに

「力を抜くだけでは駄目だ」と言われ、抜くことから逃避しているのであれば益々呼吸力が

遠のいてしまいます。力が抜けていない人が氣にすることではありません。

やはり力が抜けていることは、呼吸力の重要な要素に間違いありません。

自分の力も抜くことができない者が、どうして自分を相手に任せられるでしょう。

技巧では、力は、抜けません。安心して手を取らせたら、いつもより力が抜けた氣がする

ことを体験できます。 脱力とは、少しの力も使わないこと。簡単にできないけど、

とにかく力が抜けるようになること。本当は、相手に任せられたら、力は、入らないで、

安心して抜けるようです。力の抜け方は、量だけでなく質が問題です。

相手が取ったあとに力を抜いたらやられるのではなく、相手から先に取られたから、やられるのです。

あとからやられるのではなく、触れられた瞬間にすでにやられているのです。まずは、

力を抜くことを徹底して研究するべきだと思います。楽しく相手と手をつなぐことは、

力を抜く糸口だと思います。巧みな技巧で、相手を動かし、自分でも嘘っぽいと感じながらの稽古は、

考え直してはどうでしょう。相手を倒すのではなく、結ぶことが目的と教えられているのに、

やっていることは、如何に相手を倒すかに終始して、体力で押しまくっている。言葉だけではなく、

体技で示す稽古をしたいと思います。少しの力も使わないように、「禁力」を心がけると少しは、

力が抜けると思います。力を抜くと言っても、なかなか抜け切れません。

1本も吸わないのが禁煙です。「禁力」も愛煙家と同様の苦しみを伴うのかも知れません。

今まで、力が抜けていると思っていても、タバコに換算すると一日、15本くらいは、

吸っていたのかも知れません。あの人は、一箱だから自分の方がマシか?もっとも、

私は、煙草を吸いませんが。有段者交流研修会のあとで砂泊先生のハーモニカに

合わせて童謡を歌いますが、そこに呼吸力の源があると考えています。