平成17年1月11日

       轟理論 「流さない」

手を取らせたとき、相手が体力として、受け止め、感じたときには抵抗感を生じさせる。

相手が頑張ったときは、自分はすでに体力であり、呼吸力ではない。

もちろん、この内容は、「死に体」で取る初心者レベルの話ではない。 

触れた瞬間がもっとも重要である。「瞬間」の長さの感じ方が、取った捕られたのどちらが

早いかと言うことだろう。

力を抜くことを考えた場合、力が抜けた状態を相手が優っている場合は、

自分は抜けていないことになる。力を抜くだけでは、不十分ということになる。

もちろん、自分だけで、力が抜けていると思いこみ、勘違いしている人の状態ではない。

両者共に力が相当に抜けていると自他共に認められるレベルのことである。

触れた瞬間を感じられる稽古が必要だと思う。相手に抵抗されないためには、

まず、体力を感じさせないこと。体力を伝えないこと。つまり、体力を流さなければよい。

あとは、相手に任せる。一連の動作ではあるが、触れた瞬間の稽古を重視すべきである。

結びができる前に、前後上下の動きをしたら、圧を掛けたことになり抵抗感呼び起こす。

くどいようだが触れた瞬間の話である。手をたたき音が聞こえている間の長さ、否、

音が聞こえる前の早さの事である。相手に抵抗されている状態では、呼吸力とはいえない。

指先の触れる感覚を大事にすることから考えないと、呼吸力の話ができない。

力一杯使って、相手を止めたと得意になっているようでは、お粗末である。

ましてや、相手を投げられるように呼吸力を身につけるなどの考え方をしている人は、

もっと深く探求すべきではないかと思う。濡れ落ち葉が、手の甲にピタッと

張り付いたような感じで、密着をイメージした時期がありました。

その部分を意識していました。しかし、今の段階では、枯葉がクルッと巻いた一部分が

接触しているような感じをイメージしています。

稽古で、相手に止められたら上達します。止められた事実を素直に認めること。

それが稽古。変なプライドを持って技巧でごまかす事は、

呼吸力探求の放棄だと考えています。

自分が体技的にも精神的にも未熟だから止められる。

体力で、相手が動いていることに満足し疑問も持たない間は、

自身の呼吸力に出会うことはないでしょう。